2012年6月6日水曜日
公孫鞅
商君者、衛之諸庶孽公子也。名鞅、姓公孫氏、其祖本姫姓也。
鞅少好刑名之學、事魏相公叔座為中庶子。
公叔座知其賢、未及進。
會座病。魏惠王親往問病、曰公叔病有如不可諱、將奈社稷何。
公叔曰座之中庶子公孫鞅、年雖少、有奇才、願王舉國而聽之。
王黙然。
王且去、座屏人言曰、王即不聽用鞅、必殺之、無令出境。
王許諾而去。
公叔座召鞅謝曰、今者王問可以為相者、我言若、王色不許我。
我方先君後臣、因謂王即弗用鞅、當殺之。王許我。汝可疾去矣、且見禽。
鞅曰、彼王不能用君之言任臣、又安能用君之言殺臣乎。
卒不去。
商君は衛の諸庶 孽公子なり。名は鞅、姓は公孫氏、その祖は本々姫姓なり。
鞅少くして刑名之学を好み、魏の相、公叔座に事えて中庶子たり。
公叔座その賢なるを知るも未だ進ずるに及ばず。
會(たまたま)座病む。魏恵王親(みずか)ら往きて病を問う。
曰く、公叔、病に諱(い)む可らざる如きあらば将に社稷のことを奈何せんと。
公叔曰く、座の中庶子たる公孫鞅、年少しと雖も奇才有り、願くは王、國を舉て之に聽かんことを。
王黙然たり。
王且さに去らんとするに、座、人を屏いて言いて曰く、王即ち鞅を用うるを聽さざれば必ず之を殺し境を出で令む無かれと。
王、諾するが許(ごと)くして去る。
公叔座鞅を召じ謝して曰く、今者(たった今)王、以て相と為す可き者問うに、我、若(なんじ)を言う。王の(気)色我を許(う)けず。我方(まさ)に君を先とし臣を後とす。因りて謂うこと、王即ち鞅を用うるなくば当に之を殺せと。王我を許す。汝疾く去る可し、且つは禽(とら)わるるべしと。
鞅曰く、彼の王、君之言を用いて臣を任ずる能わざれば、又安んぞ君之言を用いて臣を殺すこと能うベけんやと。
卒(つい)に去らず。
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