2012年1月15日日曜日

「和をもって貴し」とは為さず解釈する

12 有子曰禮之用和爲貴先王之道斯爲美小大由之有所不行知和而和不以禮節之亦不可行也

12 
有子曰、

 禮之用 和爲貴、
 先王之道斯爲美
 小大由之、
 有所不行。
 知和而和 不以禮節之、
 亦不可行也

 禮之用和爲貴
 先王之道斯爲美 この二句を抜き出して見ると、
用と道が対応し貴と美が対応することに気づく。

和するを用て貴しと為し、道は斯れを
美と為す
ここで大事なのは、斯は和を承けての斯れだということ。

礼之用和為貴、先王之道斯為美。
礼の、和を用て貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。

「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す」とも読める。

小大由之
有所不行 
この二句は「則ち」で結ばれているとみれば解ける。
小大之に由れば、則ち、行わざるところ有り。或いは
小大之に由るも、則ち、行わざるところ有り。(行われざるところ有り)


不以禮節之
亦不可行也 
この二句も「則ち亦た」の形で解く。
礼を以て之を節せざれば、則ち亦た、行う可からざるなり。
知和而和 はこの二句を導く句であり限定する句である。

「和するを知りて和するも」「和を知るも和するに」
和を知りて和するも、礼を以て之を節せざれば、亦た行う可からざるなり


有子曰
禮之用和爲貴。先王之道斯爲美。小大由之。有所不行。知和而和、不以禮節之 、
亦不可行也 。
 
有子曰く。
礼の用は、和を貴しと為す。先王の道も、これを美と為す。
小大、これに由るも、行われざるところあり。
和を知りて和するも、礼をもってこれを節せざれば、
また行うべからざるなり。



【解釈】
論語における礼についての議論がここで始まる。
そして、解釈の様々な姿もここに見えてくる。
大きくは、認識論に傾くか、実践論に傾くか、何れかの傾向をもつ。

朱子は認識論的に読んで形而上学を見る。現象を本質との関係で理解する。
そういう接近をするという。
或るものはそれを仏教的解釈学の影響が及んだとして批判する。

わたしは実践論でもないがモデルを用意して解釈をしていく癖が有ると思う。
ここでも有若の言をモデルに沿って解釈してみる。
モデルというのは「擬制的古代の家族」だ。
それを「先王之道」という言葉が含んでいると解する。
政治と言うものも、個人の出処進退も、その根拠をそこに置きそれを志向するとする。そうすれば「礼とは何か」を論じなくても、読解を進めてそれによって礼を理解していけるのではないか。無論誤解を拡大する危険もある。
だが演繹的な径学的解釈よりは十方に開けた解釈になるような気がする。

「礼の和を用て貴しと為す、先王の道も斯れを美と為す」普通はこのように一文にして読むが、二文が対句のようになってひとつなのだと思う。「は」が入るのはそのこころを表したのだ。
「礼の用は和を貴と為し、先王の道も斯を美と為す」とも読める。
このほうが読みとしては自然な気がする。
ただこの場合「用」字が元来「用」だったのかと疑問も感じる。

用であるなら、「おこなう」の意であろう。それは「用事:事をおこなう」だ。
後に小大由之とある小事大事の事を行うだ。
用は段落中で行と置き換え可能となる。

用を以として解釈するのでなく行と解すると
「礼の用は和を貴と為し、先王の道も斯を美と為す」 をとりたくなる。



「礼の実践(実際)は和することを貴びます。
理想とすべき「先王之道」でもその和することを美(よ)しとします」というのだ。

和は中和の意味であり、モデルにおいては「家族擬制における紛争の停止」を謂うものだと思う。
和は「みんな仲良く」ではない。
仲の悪い者たちの状態を事を起こさないようにすることだ。
だから「王道」の実現には、不十分なのだ。
大小の「事」を運ぶに和するを目標にしていても「行われざるところ有り」なのだ。
「行われる」というのは「行きとどく」ということ。「行きとどかないところがある」というのだ。
用も行も祭祀・政治として考えれば実際的な事態を想像できる。



「和を知りて和するも、礼を以て之を節せざれば、亦た行う可からざるなり」
和することを知っていて、実際も和するようであっても、駄目なのだ。不十分なのだ。
「礼を以て節せざれば」行きとどかないのだと言う。
礼節は「礼を以て節する」ことなのだ。調節とは弦楽器のチューニングから来たことばだろう。「礼を以てチューニングしなければならない」
そうしなければ「亦、行う可からざる也」なのだ。

すぐ「もめ事」を起こす人間集団に「平和」を入れるだけでは、不十分なままだ、というのだ。
礼節が入ってこそ「行きとどいた」人々となる。
「行われている」というその「行い」とは「人として為すべきことを為すべき様に為すこと」と言えるだろう。
礼を踏み義に則り生活すること。それが「人間」であること、この時代では「君臣の間」なのだ。



「儒教のいい面と限界もここに見えている」というのがこの解釈での、わたしの感想である。


わたしは今のところこんな解釈で止まっている。

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