2011年7月11日月曜日

席不正不坐

246 席不正不坐。郷人飲酒、杖者出、斯出矣。 郷人儺、朝服而立於阼階。

席正しからざれば坐せず。郷人の飲酒するに杖者の出ずれば、斯に出ずるなり。
郷人の儺するに、朝服して阼階に立つ。

席不正不坐を独立させて解釈するのが普通らしいが、ひとつにして解釈してもいいと思う。
 席は蓆(むしろ)の席だという。席が不正だというのは置かれた位置が歪んでいたり捲れていたりすることだとされている。きちんとしていなければ敢えて座ろうとしない潔癖さをもつ孔子の人柄を言うとされているらしい。

しかし、上のように郷人の会合する場として読めば解釈は変わってくるように思うのだが、どうか。
郷という社会単位の人間関係の序列をも含めての席不正と解するのはどうだろうか。

郷人の飲酒は単なる酒盛りではない。祭礼を軸とした共同体的行事だろう。そうだとすれば、席はその秩序に従うし役割に応じた位置もあるだろう。日常生活での振る舞いでは見られない厳正が求められるのだ。席は正しくなければならないし、杖者(長老)が退出して行ってから退出せよというのも同義であろう。郷人の儺というのはやすらい祭りのような悪疫退散の祓い儀礼だという。朝服して阼階(そかい)に立つというのは主人としての振る舞いを意味しているのは確かだ。
孔子の行動の点描としてではなく一般的な共同体での行儀として読むほうがいいように思う。

私は「郷人儺朝服而立於阼階」を孔子のことではなくて郷人自身と読みたい。
郷人の儺は朝服して阼階に立つ。
日常はありえない場所に祓いの儀式には正式の服装をして主人の場所に立って行うという事実を述べているのではないだろうか。

そう読むと三つがひとまとまりになってくる。

席の序列を守り、長幼の序列に従うが、追儺には郷人も阼階に立って儀礼を執行する。

これで意味が通らないだろうか?



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