2011年5月21日土曜日

過則勿憚改

8 子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改。

子曰          子曰く
君子不重則不威   君子は重からざれば則ち威あらず
學則不固       
学べば則ち固くなならず
主忠信         忠信を主とし

無友不如己者    
己に如かざる者を友とするなかれ
過則勿憚改     
過てば則ち改むるに憚ること勿れ

人物が重というのは何か。重々しい、重厚であるの意味か。
丁重とか慎重とか言う場合の重であろうか。
普通は重々しいという解釈だ。
わたしは、考えの深さからくる慎重さ、即断を避ける対人での丁重さなど
懐と考えの深さこそ真に威厳を生む根源だという解釈も有って良いのではないかと思う。

伊藤仁斎は五つの部分を前後論理的な関係にあるのではなく、
並列的に述べられた言葉としているが、それがよいと思う。
もう一歩進んでわたしは孔子の教えを伝習している過程で
「五つの教え」という風なまとまりを与えられた前後関係のない
孔子の言葉だったと考えたらどうかと思う。

ある時に孔子がこれらの言葉を続けて言ったのではない。
そう受け取ると論理的な整合性を無理に考えなくては収まらないことになっていく。
そうではないだろう。
孔子の弟子の道に必須のモットーとして唱えていたものと思えばよい。
孔子先生の言葉としてそれは伝えられていく。
実際にも孔子の言葉から取られたに違いないが、
後世のようにこれを孔子自身がある場面で一連の発語として言ったとは思われていなかっただろう。
文言となり「論語」という体裁をとってしまったら分からなくなる場合がある、これがその例だと思う。

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