2011年8月5日金曜日

如用之則吾從先進

262 子曰、先進於禮樂、野人也、後進於禮樂、君子也。如用之、則吾從先進。
       
子曰ハク、先進ノ禮樂ニ於ケルハ野人ナリ、後進ノ禮樂ニ於ケルハ君子ナリ。
如シ
之ヲ用フレバ、則チ吾ハ先進ニ從ハン。

先進於禮樂、野人也後進於禮樂、君子也
これがひとつの「発言」「物言い」である。



それに対しての「如用之」である。
ちょっとしたことだろうが
物言い全体を対象にしての孔子の発言か
先進・後進のどちらかという選択を「之」と云っているのかで
解釈の方向が変わってくると思う。


先進・後進は「現在」より見ての配置・分布を指している。
ともかくも両者は「進んでいる者」である。先立つ者である。
その中での先後の違いが「野人」「君子」と対比されていた。
それをいう世間の評判をはじめの物言いは表している。


孔子はこのような見方、捉え方は「さておいて」
もし、そのような対比を「それとして」肯んずるとして、さてどうか、
という口調で言ったのだと思う。


人々は「野卑」だという先進の人々の方が私には好もしいがな、どうだい?
と評定する人々をたしなめ諭す意図を含んで言ったのではないか。


とかく風評はそのような一面性と単純化の弊害を伴うと言えないか。
孔子の中庸とは思考と判断においても慎重さを大事にしたのではないだろうか。



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