老學餘塵
「老学は塵を餘(のこ)す」だが、「老いて先学の餘塵に学ぶ」とも読める。
―書物の子細無量に出会う楽しい日々を綴る―現在は論語に挑戦中
2011年6月21日火曜日
三嗅而作
郷党第十
260 色斯舉矣、翔而後集,曰、山梁雌雉、時哉時哉。子路共之、三嗅而作。
260 色みて
斯(ここ)に
舉(あが)り、
翔(かけ)りて
而る
後に集(とど)まる。曰く、
山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。
子路之を共(きょう)す。三度嗅ぎて作(た)つ。
まったく読みがたい文章だ。
吉川先生の読み方をここに引いたがご本人も断定的なことは何も書いておられない。
新古の注も考えあぐねている様子だ。
判らないままにしておくのも態度と思う。
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